1999年3月11日
またこれ分厚い3連続。の割には引きずり込まれるように読んだ。
高村薫は「ラヴストーリーテラー」であるという説を唱えている私だが、この「李歐」は、誤解を恐れずに言えばもの凄くラヴストーリーである。でもそのストーリーは、儚く、悲しい。
なにせ、もうどうしようもなくなるくらい胸を締め付けられた。この想いはどこへもっていけばいいのだろう。こういうことって、あるのかと思わせられる。それがいくら小説の虚構であったとしても……。読んでいる側にとっては、「確かに」その虚構はこころの中に息づく「現実」となるのだから。
主人公を思って悲しみ、取りまく人たちを思って悲しむこの気持ちは、対象がどうあれ「現実」の気持ちなのだ。そこまで読者を虚構世界を現実に近づけさせる作者の力量は、尊敬してあまりある。
最終更新時間:2004年10月20日 20時56分06秒