
- 真理は感ずるものじゃない。真理は、表現するものだ。 - 太宰治「火の鳥」
2012-01-30 [長年日記]
_ [Compute] LMDE 201109
最近、OS彷徨ってます。
きっかけは Ubuntu 11.10 で、Mintを12にアップデートした途端、Netbook には荷が重過ぎた。仕方が無いので Mate でだましだまし使ってたのだが、えいままよと Mint の Debian Edition(201109)に変更。
なんでか LMDE は Ubuntu系の Boot USB Creator で Bootable な USB が作れないので、Mint に UNetbootin で作ってみるが NG。Windows7の lili USB Creator でも NG。Windows7上の UNetbootin でやっとこさ成功!
回り道して入れた LMDE201109 だが、まだ真価が良くわからない。ちょっとUbuntu寄りになってた自宅環境を debian 化して検証環境を構築しておこう。
2011-12-30 [長年日記]
_ 松山旅行
愛媛は松山に行ってきた。
とべ動物園に行く気まんまんで現地まで走ったのだが、なんと年末は休みというオチ。ネットでいろいろ見てたのに全然気づかず……。しょっぱなから凹む。
動物園テンションになっている子供達をなだめすかすべく、松山市街へ。こうなったら一日乗車券を買って路面電車三昧だ。道後温泉にも入りつつ、市内をぐるぐる周遊する。まちなかの商店街は賑わってるなぁ。さすが松山だと感心。さびれてる高松との違いがどこにあるのか、いろいろ考える。
次の日はあさからホテル裏の公園で遊び、しもなだへ立ち寄り、さらに市内の公園で遊ぶ。動物園というイベントがなかったので日程的には余裕で、松山と高松がクルマで2時間しかかからないというのもあって楽な割に旅行感が味わえるいい旅でした。
2011-12-18 [長年日記]
_ [Compute] 合否発表2011
毎年恒例、情報処理試験。合否発表があった。ITサービスマネージャです。
受験番号 SM801-XXXX の方は, 不合格 です
午前I得点:81.60点
午前II得点:88.00点
午後I得点:65点
午後II評価ランク:B
ふむむ。今回は午前免除がなくなったので午前Iから受験。変なところで足切りされてもかなわないので午前はそこそこ押さえたので良い得点。
午後Iは足切りラインを越えればOK、そして午後IIの論文試験は「B」かぁ。自分が書いた論文で受かるとは思えないなぁと思っていたので、想像通りな結果か。ちなみに論文は、A は合格、B は「合格水準まであと一歩である」。ちなみに去年はこんな感じだった。
午前、午後Iについてはこの勉強のやりかたで問題ないってことでしょう。逆に言えば、午後IIはこのままなら受からないということだ。来年、ちょっと考えねば。また頑張ります。
高松での合格者は4人。たしか受験者は20人くらいだった?と思うので、20%も受かるのかぁ。頑張ろう。
2011-09-21 [長年日記]
_ 宗教
自分が信心する宗教はこれといって定まったものは無い。うちの家は浄土真宗だし、つい最近出したお葬式は日蓮宗だった。
強いて言えば汎神論的な神道とかスピノザとかには興味はあるけど、まだそれが信心か、と言われると難しいところ。日本人、特に国文学をやってた者としては神道にはなじみがあるし、もちろん大切に思っている。
それぞれの宗教にはそれぞれの歴史があり、決まりごとがあり、どれがどれ、ということは私には出来ない。
どの宗教を信じるかは人それぞれだし、人にはそれを選ぶ自由がある。
それが宗教の体を成していないようなものでも良い。心の拠り所を自分の中に持つか、自分の外に持つか、ということなのかもしれない。
ただ、人が宗教を選ぶその時、どのような動機で宗教に帰依するのか、原始のところではどういう気持ちなんだろう。
例えば、人知を超える現象に出会ったとき。人間にはどうすることも出来ないような災厄が目の前で起こり、自分にはどうしようも無かったとき、自分の気持ちを納得させるための方策として、宗教に帰依するのではないかという気がする。
人間はわからないことがあったとき、それをわかりたい、理解したいという自然な欲求が発生する。それを理解するために考えるわけだが、考えてもしっくり来なかったとき、自分の中で辻褄が合わなくなったとき、それをぴったり合わす事が出来るものが宗教として提示されると、それを「答え」として受け入れるのではないだろうか。
困ったとき、精神的に追い詰められているとき、自分にはどうする事も出来ず自分が倒れてしまいそうなときに、藁をも縋る気持ちで宗教に帰依する気持ちはわかるし、その心の動きが例え理性的なものでなくても、衝動的に帰依してしまうのは理解できなくてもわかる努力はしたい。
もうこの年になると「人生いろいろあるよねー」と思うのだが、その人生のその時その時において、ああ人はこういう時に宗教に頼るんだな、と思う瞬間がある。
はっきりと宗教に帰依していなくても、人が拠り所にするものはあるはずだ。それが文学だったり、人物だったり、モノだったりする。自分の拠り所になる言葉や気持ちを自分の中に持ち、それを大切に扱う気持ちは誰しもあると思う。原始的な宗教は、そこにあるのかもしれない。
自分がこんなことを言わなくても宗教学とか?では論じつくされたことだろうけど、人や、言葉や、モノを大切に思う気持ち、という延長線上に、宗教というものが存在するんだな。何百年も、何千年ものうちに人はいろいろな考えや信仰の中でいろんなものを作り出しているので、宗派の無いお寺もあれば(善光寺さん)、一人しか神様が居なかったり(一神教)、全てのものに神様が宿っていたり(汎神教)、それはそれはいろいろだ。それが自分の心の拠り所となり、生かされていることの感謝に繋がれば、それで良いのではないかと思う。
2011-09-08 [長年日記]
_ 試験の季節。
秋の情報処理試験、受けます。何度目かのITサービスマネージャ。午前免除資格を失い今年は午前Iから受験だ。
よく、なぜ試験を受けるのかを聞かれる。とくにテクニカル保有者が圧倒的に少ない自社内では、変わり者扱いだ。試験フリークなんでしょ?的な。
聞かれてもまともに相手はしないことにしている。ひきつった笑顔でごまかす。
試験を受けるのはなぜか。それは受験勉強をするとわかる。問題の内容を見ればわかる。午前、午後を通じて、業務に役立つことの多いこと。私みたいな弱小会社に勤めていると研修も無いので、自分のスキルアップは自分でしなければならないこと。
資格持って居ないけどバリバリやってる人が居るのは確かだ。でもそういう人をよく観察してみよう。専門的によく知識があるんだけど、違うことを振ってみると全然知らなかったりする。自社の製品でしかインテグレートできなかったりする。そういう人をいままで良く見てきた。
試験を受け続けてポツポツと合格しているうちに、そういう資格を持っていない人たちの「薄さ」が目に見えるようになってきたんだよな。自分を見返してみたときに、その「薄さ」が自分にもあることがわかる。じゃぁ、やっぱホンモノの技術屋を目指すなら、その薄さは解消したいじゃないか。お客さんに言われたことだけやるんじゃなくて、圧倒的なソリューション力で顧客満足度を上げたいじゃないか。
経験もあって資格も持ってる。これ最強。そのために毎年受け続ける。よく落ちるけど。
判ってもらえないかも知れないけど、そこんとこは矜持だよな。
2011-07-05 [長年日記]
_ 嫌いの理由
「王様のブランチ」という番組が嫌いだ。出てくる女の子たちが商品の説明をカメラ目線で笑いながら番組を進行したりする。意味も無く手を振ってみたり。でもなんで嫌いなんだろうか。この沸きあがってくる嫌悪感は何だろう、と思ってモヤモヤしていた。
理由がわかった。嫌いなのは女の子たちが笑いかけたりすることではなく「女の子がカメラ目線で笑いかけたりとかきゃぁきゃぁ商品を紹介したりするこんな番組、好きでしょ?こんな感じで作ってりゃいいんでしょ?」という製作側の上から目線が見え隠れすることなんだ。それが嫌いなんだ。
女の子たちは完全に無個性で5秒も経てば忘れ去られる。でもこういう番組、好きな人が多いんだろうな。ごめん全然俺、こういうの好きじゃない。
突き詰めていけばジェンダー的な話になるのかもしれないが、そこまで理論武装しているわけではなくて、非常に感覚的なことだと思う。女の子たちは製作側の依頼を受けて頑張ってお仕事しているだけで全然悪くない。むしろこれに腐らず頑張ってほしい。だって科白が一言くらいしかないままに次々違う女の子に変わっていくねんで?とっかえひっかえか。
そんなことを梨木香歩『僕は、そして僕たちはどう生きるか』を読んで考えてた。なんで?と言われると困るけど。
2011-06-08 [長年日記]
_ のうさぎ
先日、車で15分ほどのところへ蛍を観に行った。
暗くなるにつれて少しずつ蛍が光り始め、数十匹の蛍がそこかしこに見えるように。毎年のことながら、こんな近くで蛍がみられるのはちょっと感動的。
親はこのまま座って酒でも飲んでまったりしたいところなのだが、子供たちは現金なもので一目見たらもう満足。そうそうに帰宅することに。
家に向かっていると道に動物が飛び出してきたので慌てて急ブレーキをかけると、なんと野ウサギ。
蛍が見られるのも良いが、道に野ウサギが飛び出してくるなんてどんだけ田舎かと笑
そんな所に住んでいます。いいところです。
_ [Books] 文章の力
継続して買っている雑誌はいまのところ「暮しの手帖」だけだ。胡散臭い坊主刈りのIT屋が本屋で買う本じゃないというのは分かっているつもりなので、一応遠慮しながら買う(笑)。
なんで「暮しの手帖」なのか。内容が良いのは当然として、文章に品と力があること。具体的にどれということはないが、文章の行間から立ち上る気配や雰囲気がそれを醸しだす。いい文章は、読んでいて気持ちがいい。内容に関係なく、いい文章には品がある。
暮しの手帖にはそれがある。頭の良い先輩に、人生の生き方を教えてもらっているような気がする。
まだまだ世界は広く、己は小さい存在なのだと。まだ見ぬ世界は、広く広く拡がっているのだと。
2011-05-04 [長年日記]
_ [Ski] 春スキー
GWは実家にいたので、ひさしぶりに春スキー。上の子のスキー行きたい病のテンションが上がってしまっているので、これ幸いと白馬47へ。でもゴンドラ止まってる。なんてこった。5月2日のことだ。
春スキーでゴンドラが止まると上部へのアクセスがないのでどうしようもない。みんなレストランとかでだらだらしたりBBQを始めたりしている。こっちはゲレンデを少し登り雪合戦だ。結局昼前になるまでゴンドラは動かず実家に戻る。
次の日は幸いにしてゴンドラが動く。子供の板をレンタルで借りて半日券を買って登ってみれば、リフト待ちゼロのゲレンデ。満杯の駐車場の人たちはどこに行ったんだか。唯一五竜につながるリフトが少し並んでいたので、みんな五竜に行っちゃったんだな。
まだ上の子は自分ひとりで滑れないので、スキー板の間に挟んで後ろから抱えながら滑る。大喜び大喜び。
10本も滑っただろうか、まだまだ滑りたがる子をなだめすかして下山。駐車場へ繋がるゲレンデを子供をおんぶしながら降りていたところ、不意に足を取られて為すすべなく大転倒してしまった。私の後頭部に頭を強打した子供は当然のことながら大泣き。平謝りである。ほんとに悪かった。お父さんが悪かった。
その後は気をつけてゆっくり下山し、今年のスキー終了。
自分のチカラと技術を過信した罰だなぁとつくづく思う。若くないし、調子に乗るなということだ。


